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新しい教師像 インクルージョンによせて
広島大学大学院教育学研究科障害児教育学講座 
付属障害児教育実践センター
落合 俊郎 教授

1.はじめに

現在、教育のありかたや目的に対して、新しい方向を求める声が高まっています。何を中心にして教育を考えて行くのか、さまざまな分野から意見が出されています。ここでは障害児教育という切り口から、教師のありかたを考えることにします。
「障害」がある、ないという観点よりも支援が必要な人々という視点でみなければならない時代に差しかかっています。厚生省行政では、大臣官房保健福祉部が創設され、障害保健福祉施策の推進のため、障害の種別や年齢を超えた施策の統合化が行われました。行政上のさまざまな理由はあるでしょうが、私は次のような解釈をしたいと思います。生まれながら支援が必要な人を世間では障害児というかもしれませんが、乳幼児も支援が必要であり、病気や妊娠をすれば、支援が必要な人になるわけです。また、日本語がうまく話せずコミュニケーションができない外国人も支援が必要な人々であり、学校の授業を理解できない子どもも、いじめで苦しんでいる子どもや保護者、それを解決できないでいる教師自身も支援が必要な人々なのです。これらの支援が必要な人々に対して、無視する社会であってはなりませんし、膨大な費用を投じなければ人々が動かない社会であってはならないと思います。支援が必要な子どもたちに限って言えば、障害児、学習に困難をもっている子ども、いじめや長期欠席の子どもたちと幅広い範囲の子どもたちになるわけですが、その実態について述べてみましょう。

2.支援が必要な子どもたちはどこに

1967年の文部省の調査によりますと、特殊教育的配慮が必要な子どもたちは全学齢児童・生徒の3.69%という数字が出されています。現在、特殊教育諸制度に就学している児童・生徒は、平均すると1%ちょっとということになるので、この当時の調査結果からすると、現在、特殊教育の制度で学んでいる子どもより通常の学級に在籍する障害がある子どもの方が多いということになります。小学校の通常の学級に在籍している児童・生徒の状況について、1995年に国立特殊教育総合研究所は、約1万8千人の子どもたちについて、教師へのアンケート調査を行いました。その結果、国語と算数のどちらかまたは両方に二学年以上遅れている子どもたちは、小学校の高学年で、9から10%いるということが明らかになりました。ですから、30人から40人の学級で、3人から4人の子どもたちが二学年以上遅れていることになります。二学年以上の遅れを基準とした理由は、二学年以上遅れるとその学級の授業についていけなくなり、学習障害児という障害の分類がある国では、知的な遅れがなく、学業が二学年以上遅れている児童・生徒を学習障害と定義する国もあるからです。また、義務教育年限で留年がある国では、二年の遅れを基準としています。このグループには、現在の特殊教育制度で定義されている障害児にあてはまる子どもたちや単に勉強ができないとか落ちこぼれという表現で表された子どもも入っていると考えられます。この調査の中で、通常の学級にいるこのような子どもたちに対して、どのよう支援を行っているのかも明らかにしています。通級指導教室や介助員による支援、担任による特別な援助が行われていますが、平均すると2.5%の子どもたちが何らかの支援を受けているが、その中でいちばん多い形態が、授業以外で担任による指導が1.9%となっています。つまり、小学校の高学年で9から10%の子どもたちが授業について行けないのに、五分の一の子どもしか支援を受けていないということです。学習困難を示す子どもたち対して、単に勉強ができないとして何も支援せずに学年が進んでいくというのが今の現状です。国立特殊教育総合研究所の報告書は、学力を基準に述べていますが、いじめや自殺の問題、不登校の問題など学校がかかえているさまざまな問題の一指標としても見ることができます。支援が必要な子どもたちに対して何もできないでいる教育現場の実態を示しているといってもいいでしょう。 これまで、いじめというのは日本だけにあるといういわれ方をしてきました。ところが、実際に外国でもいじめがあると報告されています。日本と大きく違うことは、外国では、他のクラスの子どもや上級生や他の学校からやってくるという形でのいじめが多いが、日本では同じクラスの中で発生することが多いといわれています。またいじめが行われている場所は、日本ではクラス内、外国では校庭が多いという違いがあります。このことは学級の中でさまざまな問題があっても、それを教師は把握・解決することができないという状況が通常の教育の中にあるのではないかと思います。

二十数年間の特殊教育の傾向を見ると、次のことがいえます。特殊教育諸学校への就学率をみますと、1979年養護学校義務制実施の時に、今まで就学猶予・免除されていた子どもたちが養護学校へ入ったこと、特殊学級にいた子どもたちが特殊教育諸学校に入ったことで79年に就学率が上がっています。その後少しずつ下がってきましたが、1993年あたりからまた増えてきています。特殊学級に在籍している子どもたちの率もずっと減少してきましたが、少し増え始めています。4年前から始めた通級指導学級では、通級する子どもたちが増えています。

一方、小中学校の通常の学級内の児童・生徒で50日以上欠席しているいわゆる長期欠席児童・生徒の率をみますと、養護学校義務制になった年から徐々に増加しています。これらの子どもの数は、通級指導教室で学ぶ子どもの数を除きますと特殊教育制度で学んでいる子どもの数より多いのです。これが今の特殊教育と通常の教育の問題だと思います。日本の教育将来、特殊教育の将来を考える時、これらの数値がどういう意味を持っているのかじっくりと考えてみる必要があります。長期欠席児童・生徒の中には「学校嫌い」という子どもたちがかなり多くを占めています。「学校嫌い」になった子どもたちの中でも学業等の学校の問題がきっかけで不登校になったと思われる子どもが30〜40%いるとみられます。これをどうとらえ、これからの日本の教育を考えていくのかが大きな問題だと思います。

3.新しい教育の考え方、インクルージョン

最近話題になっているインクルージョンについて、述べてみましょう。ユネスコが行ったサラマンカ宣言によって、インクルージョンの奨励が述べられました。日本の教育や特殊教育との距離が大きすぎて、宣言の翻訳を読んでも実感できない人々が多いのではないでしょうか。インクルージョンに至るまでの歴史的経過をフォローしないと理解が困難なようです。

インクルージョンや統合教育(以下、インテグレーションの和訳)の発端はなにかと聞かれた場合、その答えは大変難しいものとなっています。統合教育はアメリカ合衆国で、黒人の公民権問題が発端で白人と黒人の統合をめざすこと、差別をなくすことから障害児と非障害児との統合教育が始まったといわれます。その延長の上にインクルージョンがあるといわれています。インクルージョンは通常の教育の到達点なのか、特殊教育の到達点なのか定かではありませんが、それを説明するには、社会的背景がどのように障害児教育に影響してきたのか見ることによって理解できると思います。現在、世界各地で行われている特殊教育制度が始まったのは1960年代にその原型ができあがったといわれています。この当時どういうふうに障害児、あるいは特殊教育がみられていたかというと、医学的なカテゴリーに基づいた分類や考え方が行われていました。つまり、障害をもつ子どもを治療すれば、子どものハンディキャップは解決されるとし、子どもを取り巻く周囲の人々や社会を余り問題としない考え方に立っていました。現在の日本の特殊教育はまだこの点に留まっているように思われます。我々のなかにも障害状況を自分が病気をして、それを薬を飲んで治すこととダブって考えるひとがいるのではないでしょうか。1970年代というのは世界的に、学生運動やベトナム戦争があり、各国でいろいろな政治的な動きがあった時代であります。一部の国では、学校経営の民主化がなされました。この時できた法律では、選挙で選ばれた学生、保護者や教職員のそれぞれの代表と校長が役割分担をして学校経営をするということが決められています。これは現在の日本でも真剣に考えることであると思います。いじめや自殺の問題で学校が対応しなければならないとき、臨時のPTA会議、生徒会、職員会議が開かれ、伝達のための会議ではなく、それぞれの団体に属する保護者、教師、それに児童・生徒が共に問題に対処しようとするでしょう。このような組織が日常的に存在し、選挙で代表者が決められるわけです。教員だけの意見や能力で、学校がかかえる問題を解決できない事態になっている現在、このようなしくみをつくる必要があると思います。1975年にはアメリカ合衆国では全障害児教育法がだされ、障害児教育の最も制限の少ない環境での教育の考えかたが出てきました。これは、統合教育を目指すということを意味しています。これと同時にIEP(個別教育計画)の設定の義務ということも出てきました。いま、日本の養護学校でもIEPという言葉が聞かれますが、日本で個別教育計画というと、集団指導対個別指導という対比の中で考えられ、IEP自体が個別指導の教育計画というように間違えられる傾向にあります。障害をもった子どもに、どのような支援が必要なのか、関係する複数の人々が記述して、保護者が承認して将来の計画を一緒に考えていき、子どもの生涯という長いスパンから、教室内での教育をどうするかを考えていくものです。日本では1979年に養護学校義務制が実施されました。この時点で養護学校は医学的な分類や視点で作られたわけです。1981年になると英国で障害に関する新しい考え方がでてきました。Special Educatinal Needs、つまり「特別な教育的ニーズ」という考え方です。この言葉は単に障害という言葉をニーズという言葉に置き換えたものではありません。考え方として次のような違いがあります。

  1. 障害状況は、医学上の基準に基づいて分類するアプローチより、もっと広範で多様で複雑であるという立場をとること。
  2. 子どもがかかえている教育上の課題や発達の遅れは、子ども自身の問題として内在すると見るのではなく、まず子どもを取り巻く環境を整備することからはじめるという考え方。
  3. 保護者は、自分の子どもに対して権利をもっているということが尊重されなければならないと同時に、子どもの成長のために保護者が独特で貴重な役割を演じていて、専門家といわれる人々を有効に使うことによって、この役割がいっそう効果的になるという認識。
  4. 早期教育の価値の重要性を認識すること。
  5. 障害児と通常児の間には、決定的な境界線を引くことは難しく、むしろ連続線上に存在し、個々のそれぞれ違ったニーズの連続なのだという考え方。
  6. すべての青少年ができるかぎり充実し、独立した普通の生活をおくる権利があるので、通常の社会生活・学校生活に可能な限り、統合をめざす権利がある、

以上の新しい考え方が出てきたのです。日本では1993年から通級指導教室が制度化されました。これをアメリカのリソースルームと同様なものと考える人もいますが、日本の通級指導教室はまだ医学的な分類によった制度になっていますので、その根拠となる姿勢が違います。むしろ、20年前の福島の国算学級がリソースルームの姿勢に近いものであると思います。1993年に国連第48回総会決議「障害者機会均等実現に関する基準原則」が決められました。この中に特殊教育が言及されています。原則として統合教育を行うことが決議されました。1994年には、ドイツ連邦共和国文部大臣会議は、親が統合教育を望み、学校が受け入れるということになれば統合教育を認めて行くということを決めました。同年、ユネスコはサラマンカ宣言をだしました。これは統合教育からインクルージョンへ障害児教育を変化させようというものです。また、同年韓国では、特殊教育振興法と大統領令が出され、統合教育をめざすこと、個別教育計画の設定と親の合意、就学相談での親の参加、異議申し立て権、差別に対する罰則規定が設けられている。以上のような障害児教育の歴史的流れがあり、それぞれの時代に勝ち取られたさまざまな制度や教育方法が蓄積されて、インクルージョンという考え方が出てきたわけです。この時点での特殊教育の目指すものは大きく変わってきました。1960年代の「医学的・治療的アプローチ」、つまり障害児の治療教育的アプローチが目標の時代。1980年代の「特別なニーズ」にたった教育、これは、障害児の「障害」だけを念頭にいれる考えではなく、保護者や障害児や何らかのニーズのあるその他の子どもたちも援助しようというものでした。そして統合教育やノーマライジェーションが実施された時代でした。1990年代になると、「システムアプローチ」の時代になり、障害児、非障害児、保護者、学級、学校それに地域と総体論的なアプローチに変わってきました。ですから、治療教育的なことは、これまでの蓄積として使うことができる、しかし、これまで重要なこととして気付かれていなかった点が明らかになりました。それは、障害児教育あるいは障害者福祉の実現には、その子どもが最終的にくらしていく地域の理解や支援がなければ、特殊教育教師の自己満足に終わってしまうということであり、学級、学校、地域の教師を含めたさまざまな職種の人々がどのように連携し、きたんのない意見をだしあいながら、協力体制をつくるのかが重要な目標となりました。

4.統合教育からインクルージョンへ

統合教育について、まとめて見ることにしましょう。統合教育の理解なくして、インクルージョンの理解はないと思われるからです。

A.統合教育について

(1) 統合教育についての様式からの説明

  1. 双子学校形式・・通常の学校と特殊教育諸学校が校庭や施設を共有して建設されています。横浜市立のミニ養護学校と呼ばれている学校の建設様式と類似しています。
  2. 日本の従来型の特殊学級型、これも統合教育に含めている国があります。
  3. 自校通級指導教室や他校通級指導教室型。
  4. 完全統合型教育型、障害児と非障害児が同じ教室のなかで勉強し、ティームティーチングやリソースセンターからの巡回講師等によって教育的支援が行われます

(2) 統合教育についての機能からの説明

  1. 場所的統合、上記の全ての形態のなかで障害児と非障害児が学校の敷地内、学級内で場所を共有しているだけの教育。
  2. 社会的統合、完全に分離されている学校間、学級間であっても、クリスマス会や誕生会を一緒に行う場合。日本の交流教育に類似しています。
  3. 機能的統合、障害児と非障害児が一緒にいるとき、障害児のニーズと非障害児のニーズの両方を兼ね備えている教育課程が組まれる授業が行われます。

B.インクルージョンについて

統合教育の説明のなかに、機能的統合ということばがでてきましたが、この状況がインクルージョンに近い教育形態です。統合教育では、障害児が通常の学級にいるときに、教育課程が変わるわけですが、インクルージョンでは、障害児がいない状況もでもつねに多様な教育形態が行われるという方法です。前にも述べたように、日本では、小学校の通常の学級で、二学年以上の学業の遅れがある児童は9〜10%いて、長期欠席児童の急増、いじめや自殺の問題があるということを述べました。これらの子どもたちが自信をもち生き生きとした学校生活を行うためには、支援が必要なさまざま子どもたちを見捨てない教育必要になってきます。

5.子どもを見捨てない教師をつくる

障害児教育が、システムアプローチ、つまり障害児の「障害」の克服や治療だけを目的とするのではなく、関係専門家の協力や連携あるいは学校内の援助協力体制をつくる方法が重要になってきます。そうしますと、目的は、教師が障害児や学習に遅れがある子どもたちをどのように見るか、新しい見方に変える教科書が必要となってきます。ここに紹介するのは、ユネスコが出版したResource Pack、ユネスコがめざす教育(田研出版、1997)が提起している方法です。このテキストの構成については、以下のような特徴があります。

  1. 教師個人で読むことを勧めていません
    本の内容は、障害者あるいは学習に遅れをもつ子どもに関するいくつかのエピソードが書かれてあり、それをガイドラインにそって議論することが主となっています。議論の仕方について方法が説明してあり、主張の弱い人の意見をどのようにクローズアップするか、その方法が書いてあります。たとえば、紙に各々の意見を書いて壁に貼り、全体を眺めて意見のやり取りをします。いくつかの小グループに分けて各々議論をして、代表がその意見をまとめ、最後に各々のグループの代表が集まって、全体の意見をまとめます。このように、教師の考え方を変えていきながら、少数意見の取り出し方、意見のまとめかたを学習していきます。

  2. 子どもになったつもりで考える
    これまでの教師向けのテキストは、障害児を含む子どもと教師の関係は教えられる者と教える者という関係で書かれてありました。しかし、このテキストでは、子どもの身に自分を置いてさまざまな事柄を考えていきます。たとえば、課題1として、教師グループに対して、複雑図形を見せて、その中に何個図形があるか数えさせ、時間を区切って競争させ、正答数を出し、それを成績のよい順番から発表する課題。課題2として、同じような図形を、競争させないで数えさせ、評価します。課題3として、グループ全員で協力して数える、そのあと皆で議論して、どのように数えたか話し合います。このような課題を教師が行い、それと同じ状況におかれている子どもがどのように感じるか体験し、協力することの意義や楽しさを経験します。さらに、そのテキストを教師が研修会や学習会で勉強しているその場所が勉強にふさわしいと思うかどうかを考えさせます。このように、教師が学習をしながら、自分が教えている子どもの立場を考えていく方法をとっています。

  3. 障害や学習の困難についての新しい見方
    障害児教育についての歴史的変化について述べました。各々の国の特殊教育の目的の違いは、どの時代にその国の特殊教育が確立されたか、あるいは修正されたかによってその差が出てくるものと考えられます。しかし、これは、国の問題だけではなく、個人でも障害児や学習に困難をもつ児童・生徒の見方は異なります。ある教師は治療教育的な側面のみを強調するだろうし、ある教師は、特別なニーズにたって保護者や障害児以外の子どもたちにも注意を払い、統合教育やノーマライゼーションを是としているかもしれません。実際、統合教育が国の施策となっている国のなかでも、教師間の考え方の違いがあります。このことが特殊教育の変化に大きな影響を与える大事なポイントであるといえます。このことを教師が自問自答し意見の交換をするようになっています。たとえば、学習の困難は児童・生徒個人の責任にあるとする見方、治療教育的な立場にたって、いくつかの前提を出す。
    前提1 特殊であると認められた子どもたちがいる。
    前提2 こうした子どもたちは、彼らが抱えている問題に応じた特殊教育を必要としている。
    前提3 同じような問題を抱えた子どもを一緒にして教えるのが最善の方法である。
    前提4 これらの子どもたち以外の児童・生徒は「普通」で既存の学校制度で十分な恩恵を受けている。以上のような前提についてまず議論します。

    次に、Special Educatinoal Needs 「特別な教育的ニーズ」の立場にたった子どもの見方、学習の困難はカリキュラム編成にその責任があるとする見方について議論させています。その前提は、
    前提1 どの子どもでも学校の勉強でつまづくことがある。
    前提2 子どもたちが示す学習上生じるさまざまな困難がその解決方法をしめしている。
    前提3 このような過程で生まれる改善策は、全ての子どもの学習にとって役だってくる。
    前提4 教師が自分の実践方法を発展させていこうとするときには、まわりから支援すべきである。

    以上のような前提を設け、さまざまなエピソードをそのなかで紹介し、教師が議論するようにできています。これらの議論に対しては、Open Questionになっていて、決して一つの考えを押し付けてはいません。これらの立場に対する教師の議論を大切にしています。つまり、外側からの意見の強制ではなく、教師が自ら変革の意志をもたなければ、教育は変わらないという立場をとっています。

  4. 教師の悩みについて言及している
    従来、障害児教育であれ、通常の教育であれ、教育のことを論ずる場合は、教師の悩みやストレスについて言及したものは非常に少なかったです。障害児が通常の学級にいたり、学習に遅れがある子どもがいた場合、さまざまな考えかたの変化が必要であろうし、それを経験したことがない教師にとって大きなストレスになるに違いないです。ましてや、いじめの問題や校内暴力などさまざまな課題があるなか、教師はさまざまな困難に直面しています。そのストレスがどのように大きくなっていくのか、ストレスを引き起こす要因は何か、その対策はどのようにしたらよいのかが述べてあり、教師が自分の経験を述べ具体的な方法を考えます。また、このテキストが示している新しい考え方に対して、ついていける教師、変化についていけない教師もいるわけで、それらの教師に対しても言及しています。変化とは、学習そのものであります。変化は過程であって、一過性のできごとではありません。変化には時間がかかります。変化は混乱、当惑を伴うことがあります。変化には痛みを伴うことがあります。というように、すぐに変われない教師に対して、妥協はしないが、やさしい問いかけをしています。この章をわざわざ設けたのは、新しい教育観や障害観は決して強制することによって変化するものではなく、学校内の支援体制は校内の教師間で自発的に形成されなければならないという立場に立っているからです。その他、評価の仕方や記録のしかた、子どもどうしの共同学習の方法、教師のパートナーとしての保護者の位置付けや第3者からの意見をどのように取り入れるのか、グループとともに議論してその重要性を確認していく仕組みになっています。

6.まとめ

学校現場のなかにさまざまな問題が山積されています。障害児の現場だけでなく、いじめの問題、校内暴力の問題、それを解決するためには、教育課程、学校機構の問題とさまざまな事柄について解決しなければならないと思います。それらが実際に実現するまで、時を待つわけにはいかないのです。学校では日々子どもたちがきて、さまざまな人間関係のなかで生きているわけですから、まず、われわれがいまできることから実践しておかなければならないと思います。多くの障害児が通常の学級に就学していますが、そのことが制度上認知されていないがために、支援が必要であっても何もなされていない状況があり、教師が拒否することさえあります。また、保護者が自分のいいたいことをいえないということもあります。
特殊教育に就学を受諾するという「踏絵」を踏まなければ支援しないというのでは、近代国家とはいえないのではないでしょうか。支援が必要な子どもたちの人権を無視する様子を周囲の子どもたちも見るわけです。教師がこれらの子どもたちを見捨てれば、やがて子どもたちも見捨てる習慣がつくでしょう。
今、日本は急速に高齢者社会に向かっています。北欧の国々では、ノーマライジェーションが1970年から言及しはじめ、20年以上の年月が過ぎてきました。日本でも総理府が中心に、障害者プラン−ノーマライジェーション7カ年戦略ということを出さざるをえない状況が刻々と近づいてきています。
このようななかで、日常の教室のなかで支援が必要な子どもたちの人権を守り、彼らへの支援がうまくできなくて困惑している教師の支援を考え、各々の協力体制を考えていく時期に差しかかっているのではないでしょうか。

広島大学大学院教育学研究科障害児教育学講座 
付属障害児教育実践センター
落合俊郎教授の承諾を得て掲載させていただきました。